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柴田元幸さんといえば、数々の翻訳賞を受賞している超有名な翻訳家。
村上春樹との対談集や、絵本作家エドワード・ゴーリーの翻訳でその名前を知った人も少なくないかもしれません。
そんな柴田元幸さんの講演会があったので、足を運んでみました。
翻訳にかかわる方や、柴田先生のファンの方は興味があるかと思うので、講演会の内容をまとめてお伝えします。
それではいってみましょう。
翻訳家 柴田元幸さんイベント内容概要
わたしが今回参加したのは、世田谷区下馬図書館と昭和女子大学の連携事業の一環でおこなわれた、
「柴田元幸さんの文学よもやま話&朗読会」
と題した講演会。
この講演会の情報のちらしを書店でみかけ、応募してみたところ無事当選することができました。
応募はかなり多かったようで、講演会に参加できるのは基本的に応募者の1名のみです!という案内が直前にメールで届いていました。
当日はあいにくの雨でしたが、会場はほぼ満員。
翻訳関係者か、大の読書好きと思われる人の参加がほとんどでした。
会場には下馬図書館所蔵の、柴田先生の著作や翻訳本が並んでいました。
翻訳家 柴田元幸さんイベントの流れ
はじめに柴田先生のご挨拶があり、そのあとは事前に寄せられていた質問に答えていました。
文体や人物の話し方などはどうやって決めているのですか?
・たとえば、柴田先生の代表作の一つ、「ハックルベリー・フィンの冒けん」ではフィンの一人称は「俺、ぼく」のどちらかしかありえない
・なぜならフィンはその日暮らしをしている少年で、川で魚を釣って食べ、そのあたりで眠るような生活をしている。そんな人物の一人称が「わたし」にはなりえないから
・しかし1940年代に中村為治(なかむらためじ)という翻訳者によって翻訳された「ハックルベリー・フィンの冒険」は、一人称が「わたし」となっている
・これは、この物語が理想的な人間関係や民主主義を描いたものでもあるため、当時としてはしっくりくる翻訳だったのではないか
方言の訳し方について
・たとえばアメリカ南部の黒人はよく日本語の東北弁のような方言を話しているかのような翻訳をされることが多い
・想像に過ぎないが、これは社会的な立場の低い黒人奴隷と、東京を上、地方を下とみなしていた過去の社会的価値観が合うからではないか
・しかし黒人奴隷の話す言語と、東北弁にはそれぞれの音楽があり、イコールとするのは乱暴な話である
・しかしそうなると方言の翻訳は不可能になってしまう。そこで考える必要があるのは、方言がそのストーリーの中で果たしている役割は何かということ
・ユーモア、社会的地位が低い、抒情的など、さまざまな役割を果たしているので、それを再現できるような翻訳をめざすしかない
翻訳家 柴田元幸さんイベント 朗読会
そして、「今、夢中になっているものは何ですか?」という質問から、講演は朗読会の流れへ。
夢中になっているものは横浜ベイスターズ!と答えつつ
「70歳になり、そろそろ人生がゲームオーバーになるので、『死』について取り上げてみたい」
ということで、死にまつわる本を3冊ピックアップされていました。
翻訳家 柴田元幸さんイベント エドワード・ゴーリー「ギャシュリークラムのちびっ子たち または 遠出のあとで 」
最初に取り上げられたのは、絵本作家エドワード・ゴーリーの「ギャシュリークラムのちびっ子たち または 遠出のあとで」という絵本。
代表作は多数ありますが、「うろんな客」「おぞましい二人」などが有名でしょうか。
「ギャシュリークラムのちびっ子たち または 遠出のあとで」も、ダークな世界観に引き込まれる一冊です。
Aはエイミー 階段おちた A is for Amy fell down the stairs
Bはベイジル 熊にやられたB is for Basil, assaulted by bears
という感じで、アルファベット順に26人の子どもたちがさまざまな死を遂げるというちょっとダークな絵本。
柴田先生は20冊近くエドワード・ゴーリーの絵本を翻訳してきたそうですが、この絵本が一番人気が高いそうです。
マザー・グース的な、子ども向けの残酷さがありますね。
死というテーマは出版社も扱いにくくて敬遠されがちだそうですが、そのテーマと正面から向き合っているこの絵本が売れるというのは興味深いです。
「ルールを破るのが芸術の役割」というお約束に沿っているからかもしれません。
柴田先生は「死んでいるかしら」という著作も出版されていますが、このタイトルも当初は出版社から反対されたそうです。
(このタイトル以外考えられないから、ということで押し切ったそうです)
翻訳家 柴田元幸さんイベント トマス・ハーディー「ネティ・サージェントの借地権」
次にとりあげたのは、トマス・ハーディーの短編集「ロングパドル人間模様」の中の「ネティ・サージェントの借地権」という小説。
死はどこかコミカルなものとして扱われ、悲しいけれど可笑しい、可笑しいけれど悲しいものとして描かれています。
短編をまるまる柴田先生が読み上げてくれたのですが、わたしは存じ上げませんでしたが、柴田先生は朗読をよくおこなっていらっしゃるようで、朗読もとてもお上手だなあと思いました。
そしてもちろん翻訳もとてもきれいで、実際に読み上げるのを聞くと、流れるような翻訳がとても心地いいんですよね。
柴田先生も作品に愛着をもっているのがよくわかりました。
翻訳家 柴田元幸さんイベント「死神さんとあひるさん」
原題は”Duck, Death, and the Tulip“.
こちらも絵本で、ドイツの絵本作家ヴォルフ・エァルブルッフ(Wolf Erlbruch)によるもの。
だれもが理解できるかたちで人間の実存について問い、ヒューマニズムに深く根差した温かさとユーモアがある。豊かな想像力で、細かな部分にまで心をくだいて作品を生み出し、伝統を受け継ぎつつ新たな扉を開く画家である。
–国際子ども図書館より
もう絶版になってしまった本だそうです。
かわいいタッチだけれどシリアスな雰囲気もある絵柄です。
「死はとつぜん訪れるものではなく、つねに生とともにある」
という、普遍的な事実を教えてくれる内容でした。
講演の後半のQ&Aでは
「原題は”Duck, Death, and the Tulip”ですが、日本語訳の題が『死神さんとあひるさん』なのはなぜですか?」
という質問が出ていましたが、それに対して柴田先生は「読者をばかにしているから…(笑)?」と回答されていました。
チューリップは随所で重要な役割を果たしていますが、表題としては『死神さんとあひるさん』が語呂が良いと思う気持ちもわかります。
これは柴田先生が翻訳されたわけではなく、英語版を朗読されていました。
翻訳家 柴田元幸さんイベント 会場アンケート
柴田先生にとってはアンケートをとる絶好の機会ということで、さらに3編の短編を紹介し、どの作品が一番好きかを挙手で会場の参加者が回答する、というコーナーがありました。
こちらの3編を朗読されていました。
結果、一番人気があったのは J・ロバート・レノンの「紅茶」でしたが、ほかの2編も魅力のある短編です。
どれも死をさまざまな角度から描く短編でした。
翻訳家 柴田元幸さんイベント内容まとめ Q&A
当日の会場の参加者からの質問にもたくさん回答されていました。
おすすめの文法書は?
この質問には旺文社の「表現のための実践ロイヤル英文法」を挙げておられました。
この文法書は根強い人気がありますね。
翻訳する本はどうやってみつけるか
最近はネットや書評ブログを駆使して探すことが多いが、新聞の書評は今でも参照している
おすすめの書評としては以下を挙げていました。
Guardianの書評は、批評というよりはその作品の良いところを取り上げようとする姿勢がすばらしいということで強くおすすめされていました。
原文自体が読みにくい場合はどう訳すのか?
「原文の読みにくさを再現することもある意味大事かもしれないが、それ以上に『読む快感』を優先するべきではないかと思う」
読みやすさに定評のある柴田先生の翻訳ですが、原文自体が読みにくい内容の場合はどうするのですか?
という質問に対しては、以下のように回答されていました。
・英語ネイティブの感じている原文の読みにくさを翻訳でもめざすのがゴールかもしれないが、読む快感を二の次にしてはならない
・読んでみて面白さがよくわからないものに関しては訳さない
売れっ子翻訳者ならではの回答ではありますが、原作に愛着がもてるものを訳すというのは大事なことなのかもしれません。
翻訳は英語力より日本語力が大事?
極論をいえば、日本語力も英語力も両方大事。ただ、受験英語が異常に好きだったのでそれが基礎力になっている感覚はある
・日本語力については自信がある部分もあるが、自分は語彙が特に豊富だとは思わない。
・でもそれが翻訳をするうえで障害になるかというとそうではなく、ヘミングウェイのように抽象的な言葉を使わず、できるだけシンプルな言葉で伝えることが大事という哲学もある。
・簡単なことを真剣にやるのが大事ではないか。
幼少時代によく読んでいた本は?読書量は多かった?
幼少時はたいして本を読まなかったが、数は少なくとも質のよい読書をしていたかもしれない
・自分自身は「少年マガジン」や「少年サンデー」の愛読者で、有名どころの文学を読んだのは40代になってからだった。
文化のない中で自分は育った!と言い切っておられました。
・そのぶん、文化のない中で育った人の気持ちがわかるので、それはほかの大学教授にはない強みかもしれない
・読書量はそれほど自信はない。また、批評精神もあまりない。翻訳は楽しむ方向でやるのが大事ではないか
AI翻訳についてどう思う?
AI翻訳は今後ますます伸びるだろう
AI翻訳の進化はすさまじく、
「自分の翻訳人生がまもなくゲームオーバーするので本当によかった(笑)」
と話されていました。
20年ほど前に書かれたエッセイで、
「いずれ機械が翻訳という仕事を乗っ取り、たとえば『●●先生風の文体で、0.0Xパーセントの誤訳を混ぜた人間らしい翻訳にしてください』とお願いしたらすぐに完成してしまうのではないか」
といったことを書いたけど、それが実現しそうだとのこと。
翻訳という仕事はなくならないだろうけど、AIの翻訳レベルはこれからもとどまるところを知らないのでしょうね。
翻訳家 柴田元幸さんイベント内容まとめ
いちばん最後は、「靴ひもに贈る惜別の辞」というとても短い短編を読み上げて終了でした。
柴田先生の軽やかな、ユーモアのあるお人柄がすてきで楽しい講演会でした。
よくイベントを開催されているようなので、気になる方はぜひ調べてみてくださいね。
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